大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)2489号 判決 1980年10月28日
原告 谷口隆
被告 日本ベビー縫製株式会社 外二名
主文
原告の被告らに対する請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
一 請求の趣旨
1 被告日本ベビー縫製株式会社は別紙イ号図面および同説明書記載のおしめを製造し、譲渡し、貸し渡してはならない。
2 同被告は前項のおしめを廃棄しなければならない。
3 被告らは各自原告に対し金九〇〇万円およびこれに対する昭和五一年一月一日から右各金員支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決ならびに仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
主文同旨
三 請求原因
(一) 原告は左記実用新案件(以下本件実用新案権といい、その考案を本件考案という)の権利者である。
(1) 名称 「おしめ」
(2) 出願 昭和四三年四月三日(実願昭四三―二六五一六)
(3) 公告 昭和四八年六月一日(実公昭四八―一九三二八)
(4) 登録 昭和四九年二月七日(第一〇二八三四九号)
(5) 実用新案登録請求の範囲
「吸水性の高い糸を使用して一部1をたくらせ、これを押さえて凹凸感のある風紋状に編成あるいは織成した生地2をもつて繭形に形成したことを特徴とするおしめ。」
(二) 本件実用新案の構成要件およびその作用効果は次のとおりである。
1 構成要件
本件実用新案は「おしめ」であつて
(イ) 吸水性の高い糸を使用し、
(ロ) 糸の一部1をたくらせ、これを押さえて凹凸感のある風紋状に編成あるいは織成した生地2を用い
(ハ) 右生地2を繭形に形成する
との要件からなつている。
2 作用効果
(イ) 本件考案では糸をたくらせ、これを押さえて凹凸感のある風紋状に編成または織成することにより生地の表面がmのような形になるので全体の面積が小さいものであるのに表面積は増大できる。
(ロ) 本件考案は前記のように表面が凹凸感のある風紋状編成(あるいは織成)したものであるため従来の表面が平面なおしめと異り、一〇〇グラムの糸に対して二〇〇ないし二五〇グラムの水を吸収することができる(従来のものは一〇〇グラムの糸に対して一〇〇グラムの水しか吸収しない)ので、非常に吸水力が高く、また吸水速度も早い。
(ハ) 表面が凹凸感のある風紋状になつているので、水の皮膜ができず通気性に優れている。
(ニ) 弾力性に富み、肌への接触が非常に柔軟である。
(三) 被告日本ベビー縫製株式会社(以下単に被告会社という)はかねてから別紙イ号図面および同図面説明書記載のおしめ(以下イ号製品という)を業として製造し、譲渡し、貸し渡しをしている。
(四) 被告会社のイ号製品は次のような構成および作用効果を有している。
1 構成
イ号製品は「おしめ」であつて、
(イ)′ 吸水性の高い糸を使用した生地2よりなり、
(ロ)′ その生地2は右糸の一部1をたくらせ、これを押さえて風紋状の凹凸感あるように編成したジヤージであり、
(ハ)′ 一方3を大きく、他方4を小さくして繭形に形成したものである。
2 作用効果
イ号製品は右の構成により、本件実用新案と同一の作用効果(前記(イ)ないし(ニ))をあげるものである。
(五) 被告会社のイ号製品は原告の本件実用新案の構成要件を全部具備している。
すなわち、イ号製品の構成(イ)′、(ロ)′、(ハ)′は本件考案の構成要件(イ)、(ロ)、(ハ)をそれぞれ充足しており、その奏する作用効果も同一である。
(六) そうすると、イ号製品は本件実用新案の技術的範囲に属する。したがつて、被告会社が業としてイ号製品を製造販売等することは原告の本件実用新案権を侵害するものである。
(七) 被告会社の右本件実用新案権侵害行為は過失によりなされたものと推定されるところ、原告は右侵害行為によつて左記のような損害を蒙つた。
すなわち、被告会社は昭和四九年一月一日から同五〇年一二月末までの二年間にイ号製品を合計金三億円相当分製造販売した。そして、本件実用新案権の実施料は右売上代金額の三パーセントと考えるのが相当であるから、原告は被告会社の右違法行為によつて合計金九〇〇万円の実施料相当の損害を蒙つたことになる。
(八) 被告土井、同田辺はいずれも被告会社の代表取締役であつて、それぞれその職務を行うにつき、被告会社においてイ号製品を業として製造販売することが本件実用新案権を侵害するものであることを知り、又は知りえたにも拘らず重過失により知らないで被告会社をして前記のような原告に対する権利侵害をなさしめたものである。
したがつて、右被告ら両名は、商法二六六条ノ三第一項に基き、被告会社と連帯して原告に対し前記損害を賠償する義務がある。
(九) よつて、原告は(イ)被告会社に対しイ号製品の製造、譲渡等の差止めと同製品の廃棄を、(ロ)被告らに対し各自金九〇〇万円およびこれに対する昭和五一年一月一日(請求にかかる侵害終期の翌日)から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
四 請求原因に対する被告らの答弁
(一) 請求原因(一)項は認める。
(二) 同(二)項の1は認める。同項の2のうち(ニ)の弾力性に富むとの点のみ認め、その余は否認する。
(三) 同(三)項のうち被告会社がイ号製品を業として製造販売していることは認める。
(四) 同(四)項の1のうち(ロ)′の「一部をたくらせ、これを押えて風紋状の」との点、(ハ)′の「繭形に形成した」とある点を否認し、その余は認める。同項の2は争う。
(五) 同五項のうちイ号製品の構成(イ)′が本件考案の構成要件(イ)を充足していることは認めるが、その余は否認する。
(六) 同(六)ないし(八)項はいずれも争う(但し、(八)項のうち被告土井、同田辺がいずれも被告会社の代表取締役であることは認める)。
五 被告らの主張
(一) 構成要件(ロ)について
1 構成要件(ロ)は糸の「一部をたくらせ、これを押えて」、「凹凸感」のある「風紋状」に「編成あるいは織成する」等技術用語としては極めてあいまいな表現によつて定められているためその技術内容を明確に知ることは困難である。このような場合、当該要件の技術的意味は考案の詳細な説明、明細書添付図面、出願経過等を参酌してこれを定めるほかない。
そして、このような見地から(ロ)の要件をみると、ここにいう「風紋状」とは不規則な模様を指し、又、その「編成」もジヤガード機構を使用したダブルニツトとシングルニツトのランダムな組合わせによつてなされた編成を指しているものと解さなければならない。すなわち、
(1) もともと「風紋」とは砂が風に吹き寄せられてできる模様のことをいうのであるが、それはその生成経過に照らし決して規則的な一定の模様を生ずることはない。本件実用新案公報第1図においても「風紋状」は不規則模様すなわち凹部分の生地とこれより上部のループ(凸部分)とによつて形成された紋様で、その一つ一つはループによつて完全に囲まれ、その大きさ(面積)はおしめの横方向において数個程度しか作られない程度に大きいものとして表わされている。
(2) また、本件考案はその出願過程において、特許庁から「吸水性の高い綿糸等を使用して凹凸感のあるように編織した布地は敷布などにおいてこの出願前周知であり、これをおしめの素材として用いるようなことは当業者がきわめて容易になしうるものと認める。また、引例(実公昭三六―六六五号公報)のものを、角をとつて繭形に形成するようなことは当業者が必要に応じて適宜なしうる程度のものと認める」との理由で拒絶理由通知を受けたため、二度にわたつて手続補正書を提出し、クレーム中にあらたに糸の「一部1をたくらせ、これを押さえること」および「風紋状に編(織)成する」いう要件を加えたほか、さらにこれまで詳細な説明欄中に生地の編成方法について特段の説明がなかつたところ、あらたにその編成手段として「ジヤガード機構を使用したダブルニツトとシングルニツトのランダムな組合せによつて風紋状のジヤージ風の生地を得る」旨を付加記載したことによつてようやく登録査定されたものである。そして、右明細書中には前記のようなジヤガード機構を用いて編成する方法以外の他の方法は全く開示されていない。
2 しかるところ、イ号製品の衣地表面模様はほぼ直線状の山脈(凸部)と谷(凹部)が交互にほぼ平行かつ規則的に密に並ぶものであり、その山脈と谷とはいずれも微細なものであつて、到底これを「風紋状」ということはできない。
また、その編成方法もノンジヤガードによつてえられたダブルニツト地であり、シングルニツトのランダムな組み合わせによるものではない。
なお、原告の主張によると、本件考案にいう「一部1をたくらせ、これを押さえて」とは糸を生地より上部にループ状にし、その根元部分を生地の下地部分に引掛け接合することを指すというのであるが、イ号製品は生地より上部に糸でループを作つているのではなく、従来からある綿ウエーブの生地そのものを用いているにすぎないのであつて、この点においても明らかに本件考案の右構成要件と相違している。
3 以上のとおりであるから、イ号製品が本件考案の構成要件(ロ)を充足していないことは明らかである。
(二) 構成要件(ハ)について
要件(ハ)にいう「繭形」とは本件実用新案公報第1図に示されているように楕円形の中央両側部をややくびらせた形状を指すものと解するのが普通である。本件公報の詳細な説明欄に「一方で大きく、他方で小さい繭形に形成」する旨の記載(2欄一、二行目、二六、二七行目)があるのも右のような繭形の基本形状を述べているものにほかならない。
しかるに、イ号製品の平面形状は縦長の台形で、ただその角にやや円みを持たせたものであり、しかも横幅の異なる二枚のほぼ同形状の生地を重ね上辺と底辺で縫合して環状体にしており、到底これを「繭形」ということはできない。
そして、イ号製品は前記のような形状と構成を採つているため生地も本件考案のものに較べ薄いもので足りる。したがつて、洗濯に際しても乾きが早く、又、干すことも容易であるという効果を有する。又、イ号製品はもともとスペアおしめと称しているもので、同じく被告会社の製品であるパツクおしめ(検乙第二号証)と組み合わせて使用することによつておしめが幼児の身体に密着し、身体の動きによつてもずれ落ちることがないという作用効果も狙つているのである。
六 被告らの主張に対する原告の反論
(一) 構成要件(ロ)について
1 要件(ロ)にいう「一部1をたくらせ、これを押さえて」とは糸を生地であるメリヤス地より上部にループ状にし、その根元部分を生地の下地部分に引掛け接合することをいうのであり、本件実用新案公報の第2、第3図は右の構造を表わした実施例である。
2 「風紋」が砂の吹き寄せによつて生ずる模様であることは被告ら主張のとおりである。しかし、風が砂の上に作る模様はその日の風の方向、強さ、砂地の地勢等によつて異なるものであることは自明のことである。したがつて、「風紋」は被告ら主張のように不規則なものばかりではなく、中には規則的なものもつくられることは当然である。本件考案にいう「風紋状」も不規則的な模様だけでなく規則的な模様も指していると解すべきである。すなわち、イ号製品の生地が表わしているような山脈(凸部)と谷(凹部)とが規則的に配列されることによつて生じた模様も「風紋状」である。又、通常工場で機械によつて編成されたままの生地はそのままおしめ用に供されるのではなく、これをさらに染工場で湯洗いし、白く染色し、乾燥し、袋状を真中で切り開いて一枚のものにするのである。右のような過程において生地がしまり、不規則な模様になるのである。本件考案が「風紋状」というのはこのような通常の過程を経て出来た生地の不規則模様をいつているのである。しかるところ、イ号製品も右のような過程を経て製作されており、それゆえ当然風紋状を呈しているのである。
3 次に、被告らは本件考案にいう生地はジヤガード機構を用いてダブルニツトとシングルニツトのランダムな組合せによつて編成されたものに限定されるべきである旨主張している。しかし、
(1) 本件実用新案公報の詳細な説明欄では「これを普通に編成する場合は…………」(公報2欄3行目から9行目まで)と記載したうえ、前記のようなジヤガード機構による編成方法を説明しているのであつて、被告らが主張するように編成方法を限定したと解する余地はない。そもそも、実用新案権は「物品の形状、構造、又は組合わせに係る考案」について付与されるものであつて、「方法」の考案はないのであるから、その物が如何なる方法によつてなされるかというようなことは登録請求の範囲外の事項である。
(2) 又、本件実用新案の審査経過に関する被告らの主張(被告らの六(一)の1の(2)の主張)は認めるが、これによつて「風紋状」の意味が被告ら主張のように限定されるわけではない。本件実用新案は被告ら主張のような補正手続をしたこと、殊に被告らが指摘するような編成方法の例を加えたことのみによつて登録されたものではなく、拒絶理由通知に対して意見書を提出したこと等も含め、原告の考案全体を登録要件にかなうものと判断されたためである。又、このようにある方法を開示するような場合数多くの方法を開示しないのが明細書作成の実務でもある。
(二) 構成要件(ハ)について
要件(ハ)にいう「繭形」とは一方を大きく、他方を小さく形成した形をいうのであり、このことは本件実用新案公報の詳細な説明の項の記載(第2欄1、2行目、26、27行目)によつて、明らかである。なお、公報の第1図には楕円形の中央両側のややくびれたおしめが表わされているが、これはもとより「繭形」の一実施例を示したものであるにすぎない。被告らの「繭形」の解釈は公報の記載から離れた独自なものであり、採りえない。そして、イ号製品の形状が一方(4)を大きく、他方(3)を小さくしたものであることはいうまでもない。したがつて、イ号製品が要件(ハ)を充足することは明らかである。なお、被告らはイ号製品の構成が環状である点を強調し、それがゆえに「繭形」でないと主張しているが、それは、単にイ号製品が衣地を二枚重ねて、これらを上下の二個所で縫着しているというだけのことであつて、その平面形状が「繭形」に該当することを否定する何らの理由にもならない。又、そのことによつてイ号製品に何ら特別の作用効果を付加するものでもない。
七 証拠<省略>
理由
一 原告が本件実用新案権を有していること、および被告会社が業としてイ号製品を製造販売していることは当事者間に争いがない。
二 原告は、イ号製品は本件実用新案の技術的範囲に属する旨主張するので以下その当否について検討する。
(一) まず、本件実用新案登録請求の範囲を分説すると原告主張のとおり(イ)(ロ)(ハ)の三つの構成要件からなる「おしめ」と解しうることは当事者間に争いがない。
(二) そして、イ号製品が「おしめ」であつて、(イ)の要件(吸水性の高い糸を使用した生地からなること)を充足していることも当事者間に争いがない。
(三) そこで、次にイ号製品が(ロ)の要件ことに「風紋状」に編成された生地という要件を充足しているか否かについて検討する。
1 もともと「風紋状」という用語は技術的思想を表わす用語としては極めてあいまいな多分にニユアンスを含んだ用語というほかないうえ、本件公報(成立に争いない甲第二号証)の詳細な説明欄を通覧しても直接これを定義した部分はなく、またそれが技術上どのような作用効果を狙つた要件部分であるのかについて直接説明した個所も特に見当らない。
したがつて、ここにいう「風紋状」の意味はその用語が本来有する意味や本件公報記載の実施例を参考にしながら社会通念に照らし決するほかない。
しかるところ、「風紋」とは要するに「風によつて砂の上にできる模様」にほかならないのであるから、それは生ずる風の方向、強さ、砂の種類、地勢等自然天然の諸条件が複雑に重なつて形成される砂地表面のランダムな紋様または縞模様を指すと解すべきである(公知の各種の国語辞典の「風紋」の項および成立に争いない乙第二号証の一ないし三―砂漠に生じた風紋を写した写真1参照)。
げんに本件公報の第1図によると本件実用新案の考案者原告も「風紋状」の実施例として多数のランダムな閉じた形の紋様を示しており、少くとも、このような模様を「風紋状」と考えていたことが明らかである(なお、これに反し公報第2、第3図は生地表面の「風紋状」があたかも縦に平行な極めて規則的な線模様であることを前提とした断面図のようにうかがわれないでもない。しかし、右断面図はむしろ糸の「一部1をたくらせ、これを押さえ」た状態を例示した図と解されるのであつて、これによつて「風紋状」を例示したと解するのは相当でない。のみならず、右第2図は第1図と同一実施例の一部断面図と説明されているにもかかわらず正確には対応していないことが明らかで相互に矛盾が存し、また第3図も上記実施例(二重縫着のもの)を一重に形成した場合の一部断面図と説明されているからその平面図は当然第1図が想定されていると解されるところであり、もしそうだとすれば前記と同じ矛盾が存し、いずれにせよこのような例示によつて出願人に有利な解釈をすることは相当でない。)。
また、証人吉川茂の証言により原告主張のとおりのおしめ、すなわちその下約三〇パーセントの部分は本件公報の詳細な説明欄記載の実施例どおり(公報二欄三行目から七行目まで)の編成方法に従つて編成したと認める検甲第三号証の下約三〇パーセントの部分を検すると、その表面は編目自体によつて生じている模様以外のランダムな模様(それは表現しにくいが、光線の具合によつて様々に目に映る不規則な紋様で、生地のふうあい、凹凸感とともに覚知できる模様)を現認できるのである。
2 もつとも、成立に争いない甲第三号証の一部(鳥取砂丘を写した写真)によると自然条件如何によつては、場合により、部分的にかなり規則的な平行線状の奇麗な模様を作つている風紋もあることが認められ、鳥取砂丘はそれが故にこそわが国の名勝として有名になつていることが当裁判所にも顕著である。しかし、これはむしろ自然現象としては例外現象といわねばならず、このような模様をも「風紋」というのは定義の明らかにされていないクレーム用語の一般的解釈としてはやや広きに失するし、「紋」という語感にもそぐわないように思われる。かりにこのようなものをも「風紋」に含めるのが正しいとしても、それは、正確には、なお規則的な平行線を形成しているわけではなく、所々に二つまたはそれ以上の陵線が一点で交わり閉じるものもあるはずで、クレーム解釈にさいしてはこのような点も念頭においておくべきである。少くともイ号製品のように従来公知のいわゆるノンジヤガード方式により編成されたダブルニツトの綿ウエーブ生地(イ号製品の編成方法については鑑定人小林静夫の鑑定結果参照)の編目そのものとして覚知できる「頂きに微小なギザギザのある約〇・三ミリメートルの微小な高さのほぼ直線状の山脈(6)が谷(7)を介してほぼ平行且つ密に列んでいる」状態までも「風紋状」と解することは広きに失する。すなわち、これを換言すると、ここに「風紋」または「風紋状」とは何らかの形で自然天然現象特有のランダムさを感じさせるような模様を指すものと解すべきであつて、イ号製品のような公知の綿ウエーブ生地の編目そのものから覚知しうるようないわば機械的人為的な平行かつ密な線模様はその範疇に属さないと考えられる。
そして、本件について以上のような帰結が正当であることは本件考案の出願経過をみることによつても裏付けられる。すなわち、成立に争いない乙第四、第五、第七、第一〇、第一一号証によると、本件考案のクレーム中(ロ)の要件部分は出願当初単に「凹凸感のあるよう編成あるいは織成した生地」というのであつたところ、特許庁から昭和四七年一月二〇日付の拒絶理由通知書を発せられ「吸水性の高い綿糸等を使用して凹凸感のあるように編織した布地は敷布などにおいてこの出願前周知であり、これをおしめの素材として用いるようなことは当業者がきわめて容易になしうるものと認める。」等の理由を付された。そこで、原告はまず同年三月二七日付手続補正書により「一部1をたくらせ、これを押さえて」の要件を加え、さらに同年一一月一五日付自発の手続補正書により「風紋状」に編織成することをも要件として加え、あわせて詳細な説明欄にこのような編成の例として「ジヤガード機構を使用した、ダブルニツトとシングルニツトのランダムな組合せによつて風紋状のジヤージ風の生地(クロスウエーブ若しくはクロスパイル)を得ることができる」(前掲公報二欄三行目から七行目まで)等の説明を加え、最終的に公報記載どおりの(ロ)の要件に落ちついたことが認められる。したがつて、もしここに「風紋状」を単に従来周知の凹凸感ある綿ウエーブ生地の編目(織目)そのものの規則的な模様をいうものと解すると補正によりことさら「風紋状」なる要件を付加した趣旨理由が不明瞭になつて不合理である。
3 このように考えてくると、イ号製品の生地を「風紋状」に編成されている生地と解することは困難であり、この点においてイ号製品はすでに(ロ)の要件を充足していないものといわなければならない。
4 もつとも、いまひるがえつて、証拠によりイ号製品を検討してみるに、原告の提出した検甲第二号証と被告らの提出した検乙第一号証はいずれもそれがイ号製品たる「おしめ」であることには争いないのであるが、これらを上来説示の「風紋状」なる要件との関係で比較検討してみると、両者の生地はともに同じノンジヤガードのダブルニツト地であるにもかかわらずその表面生地から感得しうる模様は明らかに異なる(前者は凹凸感が顕著でふうあいを感じ、横縞が波打つている感じのほか光線の具合によつては微妙な不規則模様も覚知できないわけではないのに対し、後者は普通の綿布地で凹凸感も少くフラツトな感じで、模様としては専ら編目自体による規則的なもののみを覚知しうる。前掲鑑定人小林静夫の鑑定の結果もその3の(2)において一部同趣旨の指摘をしている点も参照。)。そして、別紙目録によつて特定されている当事者間に争いないイ号製品はそのうちの検乙第一号証の「おしめ」を文章と図面で表現特定したものと解される(これがもし検甲第二号証の「おしめ」を特定したものと考えるとその表面生地の模様の特定としてはやや不正確不十分なきらいがある。)。このように考えてくると、両者は少くとも「風紋状」の要件との関係では別製品とするのが正確であるようにも思われ、かつもし原告の真意が前者を本件訴訟の対象物とするものであるとすれば、あるいはそれは「風紋状」であると解する余地が全くないわけではないと思われる(なお、前掲証人吉川茂の証言およびこれによりいずれも原告主張のとおりのものと認める検甲第一二、第一三号証によると、このように同じ編成方法によつて造られた生地が目でみて異なつたふうあい感覚を与えるのは出来た布地を湯洗、染色、乾燥する加工過程の相違に由来するもののように思われる。)。
しかし、侵害訴訟において権利侵害の有無が問題となる対象物件(イ号製品)は現物そのものではなく訴訟上文章と図面で表現され特定された物件でなければならない。したがつて、上来の説示において対象物件を当事者間に争いない別紙目録記載のイ号図面とその説明文によつて特定されている「おしめ」としたのはもとより当然のことである。
(四) ただ、本件では前記のような証拠上うかがわれた事情に鑑み、特にイ号製品が(ハ)の要件(繭形を形成していること)を充足しているか否かについても検討する。
まず、本件考案にいう「繭形」の技術的意義を本件公報に照らしてみるに、本件公報の詳細な説明欄には(イ)「全体が繭形で面積が小さい」との記載(二欄一七行目から一八行目)、(ロ)「一方3で大きく、他方4で小さい繭形に実施した場合一方の大きい側を尻部側に、他方の小さい側を前部側に当てて……使用すればよい」との記載(同二六行目から二九行目)および(ハ)「外観が繭形の美しいもので……干し場にあつても美麗で体裁よく」との記載(同三欄一行目から二行目)があり、また右(ロ)の説明に対応する平面図として、一方他方とも丸味をおび角張つておらず、かつ中くびれの形状のもの(第1図)が示されているだけであることが認められる。これによると、前記(ロ)の説明と第1図は一実施例にすぎないと解すべきであるから「繭形」を右のような形状にのみ限定するのは相当ではないが、さりとて他にこれを定義づける説明も見当らない。したがつて、ここに「繭形」とは前記のような技術的意図を参しやくしながら一般の社会通念に合致した用語例または語義を調べて理解するほかない。しかるところ、一般に「繭形」とはいうまでもなく元来立体形状をいうのであつて、「繭の形は……遺伝的なものといわれ……日本種とヨーロツパ種は一般に俵形で、中国種は楕円形および球形のものが多い。現在一般に飼育されている蚕品種は、日中あるいは日中欧の交雑種で、……俵形と楕円形との交雑となり、浅くびれの俵形となつているものが多い。」(東洋経済新報社「商品大辞典」昭和五〇年六月一〇日発行版の七四四頁右欄参照。なお、平凡社刊行の「世界大百科事典」二一巻一〇〇頁もほぼ同旨。)ことが当裁判所に顕著であり、前記実施例の形状説明も最も多くみられる右雑種形を念頭においてなされたことが明らかである。そして、以上のような点を考えあわせると、本件考案にいう「繭形」とは前記実施例に限定することはできないが、少くとも右に列挙されたような形状を平面的にみた場合のものに限ることが必要である。
はたしてそうだとすると、ここに「繭形」とは全体に丸味を帯びた平面形状をいうものと解され、一部外延に直線部分を有するような形状は前示のような意味で繭形に最も親しまないものというべきである(前記(ハ)で意図しているような美観という観点を考慮すると、考案者原告は古くから公知公用であつた平面長方形のおしめを念頭においてこれに対比する斬新な形として「繭形」を提案していると解され、そうだとすればその形は全体的に曲線によつて型どられた丸味のある形状を考えていたと解するのが自然でもあるわけである。)。
しかるところ、イ号製品の平面形状は別紙イ号図面第1、第2図によつても明らかなとおり「縦に長い台形の角にやや円みを持たせた」形状であつて、全体としてはむしろ直線を基調とした台形であると解され、ただその四隅が丸く隅切りしてあるため一定の限度で丸味を感じさせているにすぎないと考える方が妥当なものであつて、上来説示のような意味での「繭形」の範疇からは外れる形状であると解すべきである。
(なお、この点に関し、原告は前記(ロ)の「一方3で大きく、他方4で小さい」繭形という詳細な説明を有利に援用し、ここにいう大小は線の長さの大小を指すものと解したうえ、イ号製品における台形状の上下の二つの底辺の長さの大小に右説明を当てはめ主張している部分がある。しかし、台形の上下の二つの底辺の長さに大小があるのは当然であり、その意味では右のような修辞は屋上屋をかさねたにすぎないこととなり不合理である。ここにいう大小は繭形を公報第1図のような中くびれ形に実施した場合の上半分と下半分の面積の大小を指していると解すべきである。けだし、全体に丸味を帯びた曲線形状の外延を「一方」「他方」で区別限定しその長さを比較することは通常行われないことであるからである。)
以上のとおりであるから、イ号製品は(ハ)の要件を具備していないことが明らかである。
(五) そうすると、イ号製品はいずれにしても本件実用新案の技術的範囲に属しない。
三 はたしてそうだとすれば、被告会社が業としてイ号製品を製造販売することはなんら原告の本件実用新案権を侵害するものではないから、原告の被告らに対する右権利侵害の事実を前提とする本訴請求は爾余の点について判断するまでもなく失当である。
四 よつて、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 畑郁夫 上野茂 中田忠男)
イ号図面説明書
一 図面の簡単な説明
第1図は被告製品の正面図、第2図は背面図、第3図は環状を表わしたA―A線における略示拡大断面図、第4図はB―B線における略示縮小断面図、第5図はA―A線における拡大断面図である。
二 図面の詳細な説明
被告製品は綿ウエーブの生地を素材とし、縦に長い台形の角にやや円みを持たせた横巾の異なる二枚の右生地(1)及び(2)をそれぞれ上辺(3)と底辺(4)において縫合して環状を形成する構造を有し、全外周はオーバロツク縫いされている。綿ウエーブの生地(1)及び(2)は吸水性の高い綿糸により編まれており、峰の頂きに微小なギザギザのある約〇・三ミリメートルの微小な高さのほぼ直線状の横方向の山脈(6)がほぼ平行且つ密に列ぶと共に、山脈(6)と山脈(6)の間には山脈(6)と平行に微小なギザギザのあるほぼ直線状の谷(7)が形成されている。
以上
イ号図面
第1図
第2図
第3図
第4図
第5図